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2008年6月12日から書いています。毎日朝書くことを習慣にしています。たまに乱れることはあるけれど。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 下はジーンズをはいて、上は裸、両手には長袖のTシャツとバスタオルという格好でぼくは居間のドアを開けた。
ぼくは昨日友達から三十冊の漫画本を借りてきて、夜の九時から朝の七時まで読み続けた。夕食を終えてから少しの間テレビを見、それから自分の部屋に入り読み始め、みんなが起き出す頃にやっと読み終え、開きっぱなしのカーテンを閉め、ベッドへもぐりこんだ。四時間ほど寝たあとで部屋から出てみると家には人の気配がなかった。家の中を回り誰もいないことを確認した後で、ぼくはシャワーを浴びることにした。浴室に入り鏡を見ると、髪型が前の日と同じオールバックに保たれていた。この髪型は学校では不評だった。ぼくの中では映画に出てきた典型的な白人の中年男性のものを真似たつもりだったが、誰もそんな風には考えなかった。勘違いしているヤンキーだとか貧相なやくざだとかそんなことばかり言われた。自分で見ても確かに映画のそれとは違っていると思った。これはなしだな、と自分に言い聞かせ、少し熱めにしたお湯を頭にかけた。浴室から出て居間へ行くと、母が帰って来ていた。
「オールバックはやっぱり不評だったよ」パスタを食べ終える頃にぼくは言った。母はすでに食べ終わっていた。「だから言ったじゃない、やめときなさいって。そんなことしてるからオタクとか言われるのよ」ぼくは少し驚いて言った。「何それ、誰が言ってた?」母が言った。「里美が言ってたわよ、『友達から、あんたのお兄ちゃんオタクっぽいねって言われたんだけど』って」ぼくはそういう目で自分が見られるというのはどういうことか考えてみた。そして自分の家族がそう見られるということについても。「まあいいじゃん、家族それぞれ多彩ってことで。日曜ゴルファー、スイマー、バンドマンにオタク。それに…」テーブルに置いてあった通信教育の本を指して言った。 「行政書士」 母は本をぱらぱらとめくった。「無事に受かればね」 もちろんぼくは受かるとは思っていなかったが、それはまた別の問題だった。 食事を終え、皿を下げてから弟の部屋に行って彼が朝買っているはずの漫画の週刊誌を探した。そしてそのうちの数冊を持って居間の椅子に座り、表紙をめくった時に玄関のチャイムが鳴った。「ケーン、ちょっと出てー」台所で皿を洗っている母が言った。ぼくが玄関の戸を開けると予想通り岸谷さんが立っていた。「こんにちは」「こんにちは!謙太くん」ぼくも挨拶を返した。岸谷さんは二人の子供を連れていた。彩ちゃんと雪ちゃん。五歳と一歳。雪ちゃんはお母さんの腕の中にいた。岸谷さんたちを部屋に通すと母はまだ洗い物をしていた。「謙太君部活終わったら暇そうねー」岸谷さんが言った。「そんなことないですよ、受験勉強もあるし」ぼくがそう言うと台所から声が飛んできた。「嘘よ、全然勉強してないんだから。ほら、そこら辺に漫画転がってるでしょ」ぼくは話題を変えようとした。「彩ちゃん、元気だった?」彩ちゃんはおどけた調子で言った。「元気してたよぉー」 母が食器を洗い終えて居間へやってくると、岸谷さんが持ってきたケーキの箱を出した。そこでぼくが紅茶を入れ、みんなで食べることになった。はじめのうちは話に交じっていたが、母と岸本さんの二人が洋服のカタログの本を出し、その方向に話を移したことを境にぼくは読みかけの漫画に戻った。彩ちゃんは一緒になってカタログを眺めていた。雪ちゃんは物につかまりながら不安定に歩いたり床を這ったりして部屋中を動き回っていた。 しばらくすると、二人の母親が買い物に行くと言い出した。「あんた彩ちゃんたちと留守番しててくれない?」母が言った。いいよ、とぼくは言った。ぼくは特に子供好きというわけではないがこの二人の子供とは結構頻繁に会っていたし、一緒に遊んだりしたこともある。両親の友達が連れてくる子供の中には見ているだけで蹴り飛ばしたくなるような子供もいたが、幸運なことにこの二人はそうではなかった。 雪ちゃんが眠そうな顔をしていたので、岸谷さんは出て行く前に彼女に昼寝をさせようと試みた。程なくして彼女が眠りに落ちると、母と岸谷さんは買い物へと出かけた。ぼくと彩ちゃんが玄関先まで見送ると、出かけ際に岸谷さんが、本当に大丈夫?と尋ねてきた。ぼくが、たぶん大丈夫ですよ、と答えると、大丈夫!と彩ちゃんは言った。「じゃあ謙君お願いね」という言葉を残して二人は買い物へと出かけていった。 ぼくは漫画の続きを読み、彩ちゃんは持ってきたノートにお絵かきをしていた。ぼくは一冊を読み終え、二冊目に取り掛かった。彩ちゃんはお絵かきに飽きたらしく、持参してきた絵本を持ってぼくのところへやってきた。「謙くん、これ読んで」彩ちゃんは絵本をぼくの前に突き出した。絵本の表紙を見てみると、いつだったか前にも読んだことがある本だった。でもぼくはそのことは言わずにその本を読むことを了解した。二人でテーブルの椅子に座り、ぼくはページをめくった。 「昔々あるところに二匹のねずみの兄弟が住んでいました。二匹とも働き者で冬に備えて食べ物を集めていました。ある日森でいつものように食べ物を探していると、弟のほうのねずみが見たこともないような不思議などんぐりを見つけました。」 彩ちゃんが途中で口を挟んだ。「そんなこと書いてないよ」ぼくはこの子が字を読めるのだということを思い出した。二回同じ話を読むのでは読むほうも聞くほうも退屈だと思ってわざと書いていない話をでっち上げていた。ぼくは負けじと言った。「彩ちゃん、絵だけ見て。絵だけ。この絵本には違う物語もあるんだよ」その言葉を信じたかどうかはわからないが、それ以降彩ちゃんはわりと静かに聞いていた。ぼくは途中で話が破綻しないように必死に頭を働かせ、なんとか最後まで終えることができた。弟ねずみが拾ったどんぐりは実は森の王様である熊の所有物であって、熊はそれを無くして探していたのだが、それを知った兄ねずみが弟ねずみに知らせ、二人でそのどんぐりを返しに行ったところ、熊は大喜びし、かわりにねずみの兄弟はたっぷり食料をもらい無事に一冬を越せました、と言う話だ。絵本の中に熊の絵がないことが致命的で、多少陳腐な話であることも否めなかったが、それを別にすれば即席にしてはまずまずだったと思う。彩ちゃんも少なくとも退屈せずに聞いていたようだった。何度かちゃちゃは入ったけれど。 二冊目の絵本を出されるのは避けたかったので彩ちゃんにディズニーの映画を勧めた。うちにはそういった類のビデオが結構ある。一緒に二階へ上がってその中のひとつを選び、居間に戻ってビデオをセットした。運が悪いことに、その映画はミッキーマウスやドナルドダックが出てくるものではなく、チップとデールという二匹のリスの物語だった。さっきのねずみの話と被っているかもしれない、という疑念がぼくの中に浮かんだ。でもそれは余計な心配というやつで五歳の子にはそれはどうでもいいことだった。始まってしばらくは一緒になって映画を見ていた。ぼくも子供の頃同じ物を見ていたので大まかなストーリーは覚えていたが、それなりに楽しめるものではあった。話が二話目に移るときに、彩ちゃんが熱中しているのを確認した後再びぼくは漫画へと戻った。そしてそれぞれが思い思いの時間を過ごした。ぼくは漫画を楽しみ、彩ちゃんは映画を楽しんだ。ケーキや紅茶の匂いがかすかに部屋の中に残っていた。ほのぼのとした日曜日の午後といった感じだった。 急に彩ちゃんが怪訝な顔をしてぼくのほうを向いた。鼻をつまんでいる。「なんか臭い」ぼくは風邪気味で鼻をつまらせていてわからなかったが、よく注意してみると確かに何かの臭いがした。彩ちゃんが臭いを頼りに部屋の中を動いていく。その先には部屋の端っこで寝ている雪ちゃんがいる。足元のほうから上のほうへ移っていき、オムツのところで鼻が止まる。「臭い、雪うんちしてる!」ぼくも傍によった。近くに行くとぼくの鼻でもその臭いがわかった。ほら、と言って彩ちゃんは臭いをかいでみるように促したがぼくはそれを遠慮した。厄介なことになったな、と思った。岸谷さんもいないしうちの母親もいない。でもこのまま放置しておくわけにもいかない。 謙くんやって、と彩ちゃんが言った。オムツを替えて、ということだ。ぼくは頷いた。まあ、必然的にそうなるだろう。まさか五歳の子にやらせて自分が眺めているわけにはいかない。眠っている雪ちゃんの頭の上には岸谷さんのかばんがあった。おそらくそこに替えのオムツやらなんやらが入っていると思われる。自分で岸谷さんのかばんを探るのは気が引けたので彩ちゃんに探してくれるよう頼んだ。ぼくはそのあいだオムツはずしにとりかかる。左右のマジックテープをはずすとほぼ同時に雪ちゃんが起きてしまう。初めは寝ぼけたような声が次第に大きくなり、すぐに泣き声へと変わる。ぼくは急いでオムツを開き、両足を持って腰を浮かせて少し引っ張り出す。彩ちゃんが替えのオムツと赤ちゃんのお尻を拭く専用のティッシュのようなものを隣に持ってきてくれる。ぼくの隣に来たとき、「うわっ、臭い!」と言って鼻をつまみながら転げまわるというオーバーアクションをとった。ぼくは引っ張り出したオムツの半分を丸めて臭いを少しでも抑えようとする。それから彩ちゃんにティッシュを一枚とってもらいお尻を拭こうとする。一度拭いてみるが明らかに一枚では足りそうにない。岸谷さんはいつも何枚くらい使って処理をしているのだろう。見たところ残っているティッシュはそう多くない。一度のオムツ替えでたくさん使ってしまっていいのだろうか。他人のものを使っているとどうでもいいような些細なことが気になってくる。とりあえず一度拭いたものを二つ折りにしてもう一度使う。 「彩ちゃん、お母さんはいっつもティッシュどれくらい使ってる?」とぼくは聞いてみる。「わかんない」彩ちゃんは鼻をつまみながら返事をする。それはそうだろうな、と聞いた後で当然のことに気づく。自分の妹のオムツを替えるところをいつも詳しくなんか見ているわけがない。ぼくはもう一度ティッシュをたたんで使おうと試みる。でもこれ以上は無理のようだった。そのティッシュを丸めていない部分のオムツの上に置く。それからもう一枚ティッシュをとってもらう。何枚まで使っていいのだろう。再び疑問が浮かんでくる。どうでもいいようにも思えるがやはり気になる。隣で彩ちゃんが見ているし、雪ちゃんはほぼ泣き叫んでいる。作業を中断することはできない。
「ただいまー!」玄関のほうから母親たちの声が聞こえてきた。彩ちゃんは部屋のドアのほうへ走って行き、雪うんちしたんだよー、と岸谷さんに告げていた。ぼくは心底安心した。岸谷さんは急いでぼくと雪ちゃんのところへ来た。「謙君ありがとー」バトンタッチ。選手交代。ぼくは岸谷さんに場所を譲って邪魔にならないように傍に立って後の処理を見ていた。岸谷さんは何枚もティッシュを使い手際よく処理をしていた。お尻をきれいに拭き、新しいオムツを履かせるまではあっという間だった。 ぼくは椅子に座り漫画本を取った。母が近づいてきて言った。「あんた、雪ちゃんのオムツ替えようとしたの?」ぼくは答えた。「彩ちゃんが気づいたからさ。だってまさか彩ちゃんに替えさせるわけにもいかないでしょ?」母は岸谷さんと雪ちゃんのほうを見ていた。ぼくは一呼吸置いてから言った。「簡単そうに見えるけど、実際やってみるとまだまだだったよ」母は呆れたような、嬉しそうなよくわからない顔をしていた。「当たり前でしょうが、あんたまだ何にもやってないんだから。まあ、でもよくやったほうじゃない?」 二人の買い物袋には洋服やら雑貨やらの他にいろいろな食材があった。どうやら晩御飯も一緒に食べる手筈になったらしい。もしかしたら父親同士も一緒にゴルフをしているということなのかもしれない。 ぼくは座りながら、もし誰も帰ってこなかったら最後までやり遂げられただろうかと考えてみた。それから考えるのを諦め、再び漫画のページをめくった。
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1984/04/10
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